放送局に字幕データを納品すると、SRTファイルはまず差し戻される。画面に文字を出すという結果だけを見れば同じでも、Web動画の字幕と放送の字幕では、データとして求められる形がそもそも違う。その違いを定めているのが、地上デジタル放送の字幕番組を制作し交換するための規格、ARIB STD-B36である。
規格書を頭から読んでも、どこでつまずくかは見えてこない。
字幕は制作から送出まで、いくつもの手を経由する
日本の放送字幕は、制作会社で作られたあと、局のシステムに納品され、検査を経て、送出設備から放送波に乗り、最後に各家庭のテレビが表示するところまで、長い距離を移動する。局内では、番組本編と同期した素材のひとつとしても管理される。
この字幕は、映像に焼き込まれた文字ではない。 視聴者がON/OFFを切り替えられるクローズドキャプション として、受信機側で表示・非表示を選べる字幕である。B36が扱うのは、このデータの構造そのものだ。
だから字幕データは、画面に出す文字列だけでは完結しない。どの設備が受け取っても同じ意味に解釈できること、番組本編と同期して扱えること、送出や検査の工程で機械的に処理できること。B36は、この受け渡しに使う字幕データの構造、つまり本文や表示タイミング、表示上の属性をどう記述するかを定めた、設備間の共通言語にあたる。
似た名前の規格にARIB STD-B37がある。大まかに言えば、B36が字幕データのファイル交換つまり制作・納品側を、B37が伝送・送出つまり放送波に乗せる側を受け持つ。制作から送出への流れの中で役割が分かれている、と押さえておけば実務では困らない。
「タイムスタンプ付きテキスト」だと思うと全部つまずく
B36を扱ううえで最初に捨てるべき先入観は、字幕がSRTのようなテキストファイルだという発想である。放送字幕がひとつの素材として成立するには、少なくとも次の3つが揃っている必要がある。
- 時刻:いつ画面に出て、いつ消えるか。番組本編との同期そのもの
- 改行と分割:テレビ画面で一瞬に読み取れる区切りになっているか
- 文字:放送用の文字符号体系が前提となり、外字やルビ、記号の扱いが絡む
分割ひとつをとっても、句読点でも文節の切れ目でもない位置で改行されたテキストを見た検査担当者は、まず読みにくさを指摘する。文字は、辞書にない人名や記号が出てきた瞬間に問題として発覚する。時刻のずれは、画面と音声を並べて初めて気づかれる。
特に文字は落とし穴になりやすい。一般的なUnicodeテキストとしては何の問題もなく見える文字が、放送用字幕の制作・変換・検査の工程では別の扱いを求められることがある。AIで文字起こしした結果をB36に落とし込むには、テキスト処理の外側にあるこれらの制約を、変換設計の中に組み込む必要がある。
実装でつまずく場所は、だいたい同じ3か所に集まる
つまずきの多くは、タイムコードから始まる。変換の過程でフレームレートや開始タイムコードの前提がわずかにずれるだけで、字幕全体が数秒単位で狂う。元素材のタイムラインと納品先の前提は、実装に着手する前に確認しておいたほうがいい。
次に来るのが分割と改行である。音声認識は沈黙の長さで区切るが、放送字幕は文節と意味のまとまりで区切る。多くの制作会社は、この調整を 放送字幕制作の定番ソフトSemdec・NeON でこなしてきた。AIが出す初稿がそのままでは使えないのは、その文節感覚がまだ抜け落ちているからだ。
最後は検査である。規格として正しいファイルであることと、制作意図が保たれていることは別の話だ。文字化けや欠落、意図しない改行は、生成に成功したファイルの中でこっそり起きる。変換の前後で字幕の枚数、本文、タイミングを突き合わせる検査は、自動化しておくべきだ。
出口は複数持つ設計にする
納品形式は局やポストプロダクションごとに違う。ARIB STD-B36を求められる現場もあれば、NAB形式の現場もあり、同じ字幕を配信用にSRTやWebVTTで出したい場面もある。同じ字幕内容から複数の出口を持てる設計にしておけば、放送納品と配信展開を同じ制作工程からまかなえる。
AIが生成できても、それだけでは足りない
放送用の字幕では、AIが生成できたという時点はまだゴールではない。編集し、確認し、再出力し、納品するところまでの流れを見越して、途中に人の判断を差し込めるかどうかが、現場での信頼性を左右する。
放送領域ならではの条件がもうひとつある。オンプレミスとオフラインへの対応だ。素材の機密性やネットワーク制約から、クラウド前提の処理を選べない現場は珍しくない。字幕生成や変換を閉じた環境で実行できるかどうかは、放送技術系のワークフローでは技術選定の入口になる。
NAXAの取り組み
NAXAのSubtitle Generatorは、AI字幕生成の出力先としてARIB STD-B36やNABといった放送向けフォーマットに対応する。 MXFにSMPTE 436M VANCで字幕データを埋め込む仕組み からの入力にも対応しており、既存の放送素材を起点にした変換や再利用ができる。素材を外部に出せない現場向けには、オンプレミスやオフラインの構成も用意している。
B36の細部は、必要になったときに規格書を引けばいい。先に理解しておくべきは一点だけで、放送字幕は構造化された放送素材であり、テキスト処理の延長では扱えないということだ。B37やNAB、あるいは別の国の規格に変わっても、同じ手順で読めるだろうか。答えは、この一点を実装のどこに埋め込んだかで決まる。