動画プレーヤーの右下にある「CC」というボタンを、押したことはあるでしょうか。押せば字幕が現れ、もう一度押せば消える。それだけの機能に、CCという素っ気ない名前がついています。正式にはClosed Caption、日本語で言うクローズドキャプションのことで、直訳すれば「閉じられた字幕」です。何が閉じているのだろうか、と立ち止まってみると、このボタンの背後にある放送技術の系譜が見えてきます。
クローズドキャプション(CC字幕)とは、視聴者が表示・非表示を切り替えられる字幕のことです。字幕の文字は映像に描き込まれているのではなく、映像とは別のデータとして一緒に送られ、受信側の機器が必要なときだけ映像に重ねて表示します。「閉じている」のは、字幕データが映像信号の中に格納されたまま、それを開くかどうかが視聴者に委ねられている状態を指しています。
オープンキャプションとの違いは、「閉じている」の反対側にある
対義語を置くと輪郭がはっきりします。オープンキャプションは、映像そのものに焼き込まれた字幕です。バラエティ番組の演出テロップや、SNS向けに書き出したショート動画の字幕がこれにあたります。映像の画素の一部になっているため、消すことも、言語を切り替えることも、文字サイズを変えることもできません。CMの世界にも同じ区別があり、演出として焼き込まれるテロップと、視聴者が切り替えられる 字幕付きCM の字幕は別のものとして扱われます。
クローズドキャプションは逆に、文字情報をテキストデータのまま映像信号やファイルに同梱します。表示するかどうか、どう表示するかは受信側の仕事です。だから一つの放送で字幕あり・なしの両方の視聴者に応えられますし、映像に手を触れずに字幕だけを差し替えることもできる。制作側にとっては「字幕修正のたびに映像を書き出し直さなくていい」という一点だけでも大きな違いです。
では、そのテキストデータはどうやって映像に同梱されるのか。答えは国と時代によって分かれます。
CEA-608は、アナログ放送のLine 21に字幕を隠す
米国のアナログ放送(NTSC)では、映像信号の走査線のうち画面には映らない領域、その21番目のライン(Line 21)に字幕データを流していました。これを定めた規格がCEA-608です(旧称EIA-608)。1行あたり最大32文字、表示は最大4行。フォントも表示位置も固定で、扱えるのはラテン文字系の言語だけという、帯域の細さがそのまま形になったような設計です。
制約だらけに見えるかもしれません。しかしこの仕組みこそが、「映像に焼かずに字幕を送る」という発想を放送インフラに定着させました。米国では1990年のTelevision Decoder Circuitry Act(テレビデコーダー回路法)により、テレビ受像機への字幕デコーダー内蔵が義務づけられます。字幕が「専用機器を買った人だけの機能」から「すべてのテレビの標準機能」へ変わった転換点でした。
CEA-708によって、視聴者は字幕の見た目を選べるようになった
デジタル放送(ATSC)への移行にあわせて登場したのがCEA-708です(現在の呼称はCTA-708)。608との最大の違いは、字幕の見た目を視聴者側でカスタマイズできること。仕様上は8種類のフォント、3段階の文字サイズ、64色の文字色・背景色から選べ、背景の透過度や文字の縁取りも変えられます。ロービジョンの視聴者が文字を大きくする、色覚特性に合わせて配色のコントラストを上げる。こうした選択肢はすべて、「表示は受信側が決める」というクローズドキャプションの思想を、アクセシビリティの方向へ徹底した結果だといえます。
708のストリームには608のデータを埋め込んで併送する運用(いわゆる608 over 708)も定義されており、アナログ時代の字幕資産と互換を保ったまま移行が進みました。規格の切り替えで過去の字幕を捨てない、という判断も含めて設計です。
日本の地デジ字幕も、クローズドキャプションである
リモコンの「字幕」ボタンで出たり消えたりする地上デジタル放送の字幕も、仕組みとしてはクローズドキャプションです。日本ではARIBの規格群がこれを支えており、字幕の文字符号化や表示制御はARIB STD-B24が、放送局と制作会社の間で字幕番組をファイルとしてやり取りする交換フォーマットはARIB STD-B36が定めています。その交換フォーマットの中身については、 ARIB STD-B36の仕様と運用 で詳しく解説しています。
興味深いのは、米国の608/708と日本のARIB方式が、「視聴者がON/OFFできる」という体験こそ同じなのに、中身にはまったく互換性がないことです。文字コードも、伝送への載せ方も、ルビや縦書きへの対応も違います。米国向けに組んだ字幕ワークフローを日本の放送にそのまま持ち込めない理由が、ここにあります。
Web動画のCCを支えるWebVTTとSRT
それなら、冒頭のYouTubeのCCボタンは何を表示しているのでしょうか。Webの世界で字幕は、放送よりずっと単純なテキストファイルとして流通しています。デファクトスタンダードの SRT と、W3Cが標準化した WebVTT です。どちらも「開始時刻・終了時刻・テキスト」の並びが基本で、HTML5のvideo要素にはWebVTTを読み込むtrack要素が用意されています。字幕ファイルをアップロードすれば、プレーヤーのCCボタンで視聴者が切り替えられます。放送のクローズドキャプションと同じ関係が、はるかに軽い実装で再現されているわけです。
軽いぶん、放送規格が背負っていたものは抜け落ちてもいます。表示位置や書式の厳密な制御、伝送路上での確実性。放送とWeb配信の字幕制作がいまも別々のワークフローなのは怠慢ではなく、要件の違いです。
誰のための字幕か
クローズドキャプションはもともと、聴覚に障害のある視聴者のための技術として制度化されてきました。米国ではFCCが放送番組への字幕付与を義務づけており、2010年の21世紀通信・映像アクセシビリティ法(CVAA)では、テレビ放送された番組をインターネット配信する場合にも字幕提供の義務が広げられています。日本でも総務省が「放送分野における情報アクセシビリティに関する指針」で字幕放送の普及目標を定め、対象となる番組にできる限り字幕を付すことを放送事業者に求めています。同じ指針は、視覚に障害のある視聴者に向けて場面の状況を音声で補う 解説放送 についても普及目標を定めています。
一方で、いまCCボタンを押している指の多くは、耳が聞こえないから押しているのではありません。電車の中で音を出せない。音声だけでは固有名詞を追いきれない。字幕は「一部の視聴者のための代替手段」から「誰もが使う視聴インターフェース」に変わりつつあります。表示のON/OFFを視聴者に委ねるというクローズドキャプションの設計は、半世紀近く前の判断とは思えないほど、いまの視聴環境に合っています。
NAXAの取り組み
NAXAは、 AI字幕生成 サービス「Subtitle Generator」を開発・提供しています。音声認識による文字起こしから、放送向けのARIB STD-B36/NAB形式、Web配信向けのSRT/WebVTT形式までを一つのワークフローで出力できるため、同じ番組を放送とWebの両方に届ける現場で、字幕データを二重に作り直す負担を減らせます。テレビ大阪、北海道文化放送(UHB)などでの導入実績があります。
字幕を付けるかどうかは、もう議論の段階を過ぎました。残っているのは、どれだけ速く、正確に、放送とWebの両方の規格へ届けられるかという実装の問題です。その実装を支えることが、私たちの仕事だと考えています。