見積もりを3社から取りました、と言われて資料を開いたら、3社とも人手の反訳業者でした。
収録したインタビューが20本、1本あたり60分。放送に載せる素材ではなく、社内で内容を確かめて構成を組むための文字起こしです。3社の単価は1分200円前後で横並びでした。総尺1,200分で、ざっと24万円。担当の方は、この中でいちばん安いところに決めようとしていました。
そこで一つ、まだ誰にも聞かれていない質問が残っています。その1,200分は、人が起こさないといけない素材でしょうか。
手段は三つあり、比べる順番が入れ替わりやすい
文字起こしを手当てする方法は、大きく三つに分かれます。人手の反訳業者へ外注する、AIの文字起こしサービスをそのまま使う、音声認識のAPIを呼んで自社でパイプラインを組む。この三つです。
相見積もりというのは、三つのうちどれを採るかが決まったあとの作業です。ところが実際の順番は逆になりがちで、まず業者に相談し、金額を見て高いと感じ、そこで初めてAIという単語が会議に出てきます。入り口が逆なので、比べているつもりの3社は、全部同じ手段の中の3社になります。
順番を戻すために要るのは、三つが何を売っているのかを分けて見ることです。人手の業者が売っているのは、読める日本語になった原稿と、それが指定した日に届くという約束。AIサービスが売っているのは、音声が文字に置き換わった状態。APIが売っているのは、その置き換えの部品だけです。値段が違って当たり前で、そもそも届くものが違います。
冒頭の1,200分は、社内で構成を組むための素材でした。読める原稿という約束まで買う必要が、はたしてあったのかどうか。
人手に頼むとき、料金は何で決まるか
人手の業者の料金は、たいてい1分いくらで決まります。2026年9月時点で公開されている料金表を並べると、専門業者の相場は1分あたり200円から300円のあたりに集まっています。60分の素材なら1万2千円から1万8千円という桁です。
この単価を動かす要素が三つあります。
一つめは、仕上げのレベルです。料金表には「素起こし」「ケバ取り」「整文」という三つの呼び名が並びます。素起こしは言い間違いも「えー」もそのまま文字にしたもの、ケバ取りはその言い淀みを落としたもの、整文は読んで意味が通る文章まで整えたものです。文字起こし専門comが公開している料金表では、素起こしとケバ取りが1分200円、整文だけが1分300円と5割高く設定されています。冒頭の20本のように社内で読むだけなら、ここは素起こしで足ります。
二つめは、納期です。コエラボの料金表では、ケバ取りと素起こしが通常納期で1分200円、特急納期で350円、翌日納品で400円から、当日納品で500円からと上がっていきます。ゆったり納期を選べば179円です。同じ素材でも、いつ欲しいかで単価が3倍近く動きます。一方で特急料金を設けず、納期そのものを延ばして対応する業者もあり、料金表の組み立ては会社ごとに違います。
三つめは、内容と音源の条件です。医療や法律といった専門分野は割増になり、コエラボでは医療系が通常納期で1分350円です。音源が動画の場合に1分22円を加算する、といった条件も料金表に書かれています。テープリライトのように60分単位で基本料金を決めて15分刻みで加算し、録音時間が1時間増えるごとに納期を1営業日足す、という設計の会社もあります。
人手の見積もりは、尺と分単価の掛け算に、仕上げレベルと納期と素材条件が乗った形です。安くしたいときに削れるのは尺ではなく、たいていこの三つのほうになります。
料金表に載っていない差もあります。何回まで直しを受けるのか、話者名を発言ごとに入れるのか、タイムコードを何分おきに打つのか、指定のフォーマットに流し込むのか。この辺りが見積もりの備考欄に小さく書かれていて、後から追加料金になることがあります。1分いくらだけを横並びにすると、この列が抜け落ちます。
AIで安くなる工程と、そのあとに残る工程
同じ素材をAIの文字起こしに通すと、金額の桁が変わります。音声認識APIの公開単価でいえば、2026年9月時点でOpenAIのgpt-4o-mini-transcribeが1分あたり0.003ドル、Whisperとgpt-4o-transcribeが0.006ドル。日本語に特化したAmiVoice APIは、汎用エンジンのログありプランで1時間あたり99円です。1,200分を通したときの原価は、人手なら20万円台だったものが、数百円から2千円ほどに収まります。
この差は値引きではありません。買っているものが違うだけです。
人手の業者に頼んだときに納品されるのは、校正まで済んだ原稿です。AIが返すのは、認識の結果そのものです。認識率の数字が何パーセントであっても、残りの数パーセントを誰がいつ直すかは、依然として決まっていません。工程が消えたのではなく、担い手が発注側へ移っただけだと考えると、後の見積もりがずれません。
安くなったのは、音声を文字に置き換える工程です。ここは実際にAIが肩代わりします。では、何が残るでしょうか。
固有名詞が残ります。番組名、出演者名、取引先の社名、地名、社内の略語。音声認識は聞こえた音を辞書の中でいちばん確からしい語に割り当てるので、辞書に無い固有名詞は別の語になります。20本の素材で同じ人名が毎回違う漢字に化けていれば、直すのは人です。
話者の区別も残ります。誰がどこで話しているかを機械的に切り分ける処理は話者分離と呼ばれ、対応するサービスとしないサービスがあります。対応していても、切り分けられた話者に名前を貼るのは別の作業です。
タイミングも残ります。文字起こしを字幕に使うなら、どの文字が何秒に出るかが要ります。単語や文字の単位でタイムスタンプを返すかどうかはモデルによって差があり、返さないものは後からタイミングを合わせ直す処理が必要になります。
そして納品形式が残ります。テキストのまま渡すのか、SRTファイルにするのか、放送の搬入形式まで要るのか。ここは求められる工程の量がまるで違います。文字起こしの先にどれだけの工程が積まれるかは、AI字幕生成の工程を追った記事のほうに書きました。
冒頭の1,200分に戻ると、社内で構成を組むための素材なので、残る工程のほとんどが要りません。固有名詞は読む側が文脈で補えますし、タイミングも納品形式も関係ない。この用途なら、AIに通して終わりで足ります。
自社で組むとき、API単価に現れない費用
単価表だけを見ると、自社で組むのがいちばん安く見えます。1,200分で数百円という数字は魅力的です。ただ、その数字に入っていない費用があります。
整形の実装が入ります。APIが返すのはJSONか、句読点も改行も無い連続したテキストです。読める形への整形、話者ごとのまとまり、タイムコードの付与、出力形式への変換。ここを書くのは自社のエンジニアで、一度書いて終わりにもなりません。素材の種類が変わるたびに調整が要ります。
辞書の運用が入ります。固有名詞の誤りを減らす手段は単語登録ですが、これは一度きりの作業になりません。番組が変われば出演者が変わり、取引先の社名も入れ替わります。誰がこのリストを持ち、いつ更新するのかを決めておかないと、半年で誰も触らないファイルになります。
検収が入ります。出てきた原稿が使える品質かどうかを、誰かが見ます。人手の業者に頼めば相手の工程に含まれていたものが、自社パイプラインでは自社の工数になります。1本あたり10分見るとして、20本で3時間半。この時間は見積書のどこにも載りません。
保守が入ります。APIのモデルは更新され、旧モデルの提供は終わります。単価も改定されます。動かし続ける担当を置けない規模なら、パイプラインは資産よりも負債の側に寄っていきます。
自社で組む判断が効くのは、本数が継続して出ること、そして辞書や整形のルールが自社に固有であること。この二つが揃うときです。年に数回、20本ずつという使い方なら、実装した人が異動した時点で止まります。この判断そのものを外の開発会社に相談する段になったら、見るところは金額ではなく見積書の項目のほうに移ります。
素材の性質のほうが、答えを決めている
三つの手段には、どれが優れているという順位がありません。決めているのは素材のほうです。
尺と本数から見ます。総尺が数十分なら、どの手段でも金額の差は数万円に収まります。実装費のほうが高くつくので、自社パイプラインの検討は割に合いません。逆に月に数百時間出るなら、人手の分単価はそのまま固定費になります。
機密性を見ます。未公開の企画、出演交渉中の素材、取材源。人手の業者は秘密保持契約に応じ、作業者全員と契約を結んだうえで納品後に音源を削除する運用を明示している会社があり、ISMS認証を取っている会社もあります。AIサービスへ投げる場合は、素材が学習に使われるか、どこに保管されるか、保存期間はどれだけかを規約で確かめることになります。価格の比較表には出てこない項目です。
音源の受け渡し方も、機密性と一緒に効いてきます。ギガファイル便で送ってよい素材なのか、専用のストレージを指定されるのか。放送素材のように外へ出せないものであれば、そもそもクラウドを経由しない構成が要件になり、選べる手段が最初から絞られます。
納品形式の指定を見ます。相手から形式を指定されているなら、そこから逆算します。テキストでよいのか、字幕ファイルなのか、放送の搬入データなのか。指定が厳しいほど、後工程まで持っている手段が有利になります。
締切を見ます。明日の朝までに要るなら、人手の当日納品は1分500円からで、AIなら実行時間だけです。逆に2週間あるなら、ゆったり納期の割引が効きます。冒頭の20本は締切まで2週間あり、外にも出ない素材でした。
三つの手段を、同じ軸に並べる
ここまでの整理を一枚にすると、次のようになります。
| 手段 | 費用の決まり方 | 納期 | 精度の担保 | 向く素材 |
|---|---|---|---|---|
| 人手の反訳業者 | 尺 × 分単価。仕上げレベルと納期で変わる(相場は1分200〜300円) | 数営業日。短縮は割増、または受けない | 業者側の校正工程に含まれる | 本数が少ない、機密性が高い、読める原稿がそのまま要る |
| AI文字起こしサービス | 従量課金または月額。尺に比例するものが多い | 実行時間のみ | 利用する側が確認して直す | 社内で読む素材、本数が多い、後から人が文脈で補える |
| 自社パイプライン | API単価に、整形の実装・辞書運用・検収・保守が乗る | 実行時間のみ(構築期間は別に要る) | 検収の工程を自社で設計する | 継続して大量に出る、辞書と整形のルールが自社固有 |
この表にサービス名を一つも並べていないのは意図があってのことです。手段が決まって初めて、どの製品かという比較に意味が出ます。すでにツールを選ぶ段階まで来ているなら、文字起こしAI・字幕制作サービス12種の比較のほうに、料金と対応形式と話者分離の有無をまとめてあります。
見積もりを取る前に、決まっていること
冒頭の20本に戻ります。社内で構成を組むための素材で、締切は2週間後、外には出ない内容。この条件を先に書き出してさえいれば、相見積もりを取る前に、比べるべき相手は業者どうしではないと分かったはずです。逆に、同じ20本が放送に載る字幕の元原稿で、来週の頭に搬入するとなれば、答えは反対側に振れます。
決めるために要ったのは四つでした。総尺と本数、外に出せるかどうか、納品形式の指定、締切。音声認識の知識は、この四つに一つも入っていません。
いま手元にある素材で、この四つを紙に書けるでしょうか。書き出したとき、残っている手段はたいてい一つか二つです。